佐助君が好きなの、と蚊の鳴くような声で言ったこの少女を俺様は知らない。初夏と言うには暑すぎる外気に、早とちりな蝉がミンミンと必死にその生命をすり 減らしている。校舎の白壁は、太陽の日差しを浴びて白光していた。そこに映る少女の影は緩い風にスカートを揺らし、大木は何事もないようにさらさらと音を たてた。佐助の影は映らない。裏庭の大木は佐助ばかりを影に潜めて、日差しを遮る。


「そう、でも俺様、君のことよく知らないし」


良く知らないどころか顔も見たことがなかったが、佐助は敢えて濁すように言葉を紡いだ。足元ばかりに目をやる彼女は、たぶん自分と同学年である。所在無さ げに胸元に仕舞われた手はきつく握りしめられていた。彼女は――名前を言っていた気がするが、忘れてしまった――でも、と呟くと何か物言いたげに顔を上げ て、小さく口を開いたが、けれど諦めたように閉口した。彼女はなかなかに可愛い顔をしていた。しっかりと化粧された顔は、この時のために気合を入れて作って きたのかもしれない。不安げに揺れる潤んだ瞳も、伸ばされた黒髪も十分に及第点と言えた。けれど、ただそれだけである。以前ならば、体の良い遊び相手にし ていただろう。そう、以前ならば。しかし今はどうもそういう気にはなれなかった。自分の心境の変化に込み上げた苦笑を飲み込んで、ごめん、と思ってもいな い言葉を吐き出した。少し申し訳なさそうに眉を寄せてやれば、彼女はこっちこそ、と目を逸らしながら踵を返した。去って行く彼女の揺れるスカートに目を向 けながら、佐助の口からは思わず溜息が漏れた。それは自分へか、それとも名も知らぬ彼女へか。自分でもわからぬまま、思い出したようにその場に座り込んだ 。白壁に背を預けだらしなく足を伸ばせば、面前の大木は先ほどの緊張感など露程も知らずに佇んでいる。1人になった裏庭は酷く穏やかだった。彼女は告白を するのにどれだけの勇気を振り絞ったのだろうか。いつもなら決して考えもしないようなことが頭を過ったのは、やはりいつもなら決して陥らないような状況に 自分が陥ってしまっているからだろう。自分でも、器用な方だと思っていたのに、これではあまりに不格好で格好悪い。好きだということも、諦めることもでき ないなんて。


「あ、猿飛、先生呼んでるよ」


自嘲気味の思考から俺様を引き上げたのは、はなでも先ほどの彼女でもなくて、空から降り注ぐ声だった。見上げれば窓から顔を出したさんが、ダルそうな 顔をして覗き込んでいる。日の眩しさに思わず目を細めると、早く来いってー、とやっぱりどうでもよさそうな声色でさんは叫んで、さっさと教室に引っ込 んでしまった。ばさりと揺れる黒髪は、あの彼女に似ていたけれど、どこか間の抜けた、どうでもいいと言いたげな緩い空気にほんの少しほっとして、佐助は立 ち上がった。こんなことで悩むなんて、俺様らしくもない。そうだろう?思わず上がった口角を抑えるように、なるようになるさともう一度天を仰いだ。蝉は未 だにうるさく鳴り響いている。見上げた空は何もかもを無にするような爽やかな晴天だった。








詩という詩を踏みつけて



120107