今この瞬間に真田と山村さんがくっついても、私は完璧なタイミングで端役Cとしての演技をこなすことができるだろう。にやにや笑って、 祝福ムードの教室で一緒になって騒げばいい。そうすれば、コマ割りのちょうど隅っこ辺りに後頭部くらいは映るかもしれない。半ば現実逃 避のような考えが頭を過ったのは、階段の踊り場で向かい合う猿飛と山村さんを目撃し、踵を返すことも、ましてや前に進むこともできずにいるか らだ。私の位置からは、大きな目を一層大きくさせた山村さんの顔と、猿飛の後頭部しか見えない。これはまずいと全力で思っているのに、どうい うわけか動けずにいる私は、相当な噂好きなのかもしれない。上げかけた足を静かに下ろして、私はそっと息を潜めた。


「答えられないでしょ?」


この張り裂けんばかりに緊張した空気を破ったのは、猿飛の声だった。容易に前の会話が推察できるような言葉に、なるほどやっぱりここで行われ ていたのは少女漫画のそれかと一人納得した。肩越しに見える山村さんの目が一瞬揺れて、それから床に落とされた。磨かれていない汚い床を一生 懸命見つめる姿に、全く関係ない私まで、息を呑む。猿飛が溜息を吐くまで1分か、10分か。きっと30秒も経っていないのに、それくらいの時が 過ぎたような気がした。その溜息に反応して、山村さんが漸く顔を上げた。潤む瞳が、ただ一点を見つめる。


「ほら、早くいきな」


旦那が待ってる。そう言った猿飛に山村さんはありがとう、と呟くと、何の未練もないと言わんばかりに勢いよく振り返り階段を駆け上がって行く。揺れるスカートになにか余韻のよう なものを感じた。少女漫画も、あながち侮れないものだ。カットに良く使われているきらきらした何かが、本当に飛んでいそうだった。半ば感心しなが ら、私はそのままの流れで猿飛に目を移した。猿飛はまだ動かないでいた。走り去った山村さんの方を見つめたまま、固まっている。こっちはこっちで、 少女漫画のシーンをまだ続けているようだった。なんて切ないのだ。やっぱり少女漫画は生で見るものじゃあない。そう思って、私ははたと気が付いた。 私はどうやってこの場を切り抜けるべきなのだろうか。やっぱり何も知らない体を装って、さっさと横をすり抜けるのが正しいのか。猿飛が微かに動き 出した。もうあぐねている時間はなさそうだった。しかたない、すり抜けよう。意を決して階段を上り始めたのと、猿飛が振り返ったのはほぼ同時だっ た。お互い目が合い、あ、と声を漏らす。


「お疲れ、ちゃん」


横を通り過ぎながら、猿飛はまたいつものへらへら笑いをしたようだった。けれどもその顔が、あまりに歪だったから、私はどう返していいのかわか らなくて、ただ、うん、と言っただけだった。



次の日の教室は大盛り上がりだったけれど、私の後頭部はえっちゃんに押し出らされてコマ割りの隅っこにすら映らなかった。








確かめるように触れた大きな手



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