も酷いよねー、と飄々とした口ぶりで佐助は言った。口角は上がり、愉しげに話す姿は、決して酷いと思っているようには見えなかったが、いつものことである。は気にすることもなく、でも売り上げ伸びたで しょ?と笑って見せた。穏やかに有線の流れる店内に、客はしかいなかった。カウンター越しの佐助は、マスターらしく白のワイシャツに黒のベストを重ねて、丁寧な手つきで氷を砕いている。手の中で綺麗な円形 に姿を変える氷は、まるで魔法の様であった。「まあね、お蔭で今月いつもの倍!」笑いが止まらないとばかりに話す佐助は、様々だよねーと続けて、一杯奢るよとに目を向けた。「嬉しい、じゃあスティンガ ー頂戴」その目を見つめ返して、はもう一度微笑んだ。佐助は目を逸らすことなく、怖い怖い、とわざとらしく肩を窄めてみせた。 「あの後、竜の旦那大変だったんだぜ」器用に手の中でシェーカーを躍らせながら、佐助は話を続けた。竜の旦那?と聞き返すにああ、伊達政宗のことだよ、と返しながら、よく冷えたカクテルグラスに今しがた完 成したカクテルを注ぐと、そっとの前に置く。「彼ね、なんだかとっても自分に自信があるみたいだったから、ちょっと楽しくなっちゃって」グラスに口を付けて、はおいしいと言葉を漏らした。それは仄暗い 店内に飲まれて消え、佐助の耳には届かなかった。「俺様にずっと、のアドレス教えろーって突っかかってきてさぁ、やんなっちゃうよ」わざとらしく溜息を吐いた佐助は、グラスを見つめるに目を向けて、感 嘆のあまり声にならない声を漏らした。グラスを持つ白い手、飲み込むたびに微かに上下する喉、赤い唇。それはどれもとてもエキゾチックに、まるで誘っているようにしか見えないのだ。竜の旦那が落ちるのもわかる 。は視線に気付いたのか微かに口角を上げた。そうしてゆっくりとグラスを置く姿に背筋がぞくりとする。ただそれだけの動作なのに、そのどれもが妖艶で、謎めいて見えるのは何故だろうか。ごくりと喉が鳴る。 この道に入ってそう経験は浅くないが、こんな女は初めてだった。この立場で出会えてよかったと思う。自分も客の立場なら、思い切り嵌っていたかもしれない。は佐助を覗きあげるように少し体を低くして、でも 教えないでくれたんでしょ?と目を細めた。悟られぬようににやりと笑って、佐助はまあねぇ、と何食わぬ顔で答えて、また氷作りに取り掛かっていた。 は一杯のスティンガーをしっかりと味わうように飲んでいた。何か物思いに耽っているようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。どんなに妖艶な女の顔をのぞかせても、やはり彼女は若い女だと思った 。こういう時の、少女のようなあどけなさに安堵する。大人になり切れない不安定さ、それに揺れる感情。必死に追いつこうとするような、そんな可愛らしさは彼女を年相応に見せた。空になったグラスをくるくると弄 びながら、は口元を左手で覆って、子猫のように何にでも興味有り気に動く瞳を伏せてみせた。長い睫毛が小刻みに震えている。一瞬、泣いているのかと佐助は思ったが、すぐに顔を上げたの目に涙は溜まって いなかった。「今日はもう帰る」は未だ手の中に納まるグラスをテーブルに置いて、そっと立ち上がった。その声色からは、いまいち感情は伺えない。「そう、また来てね」佐助は敢えて何とも思ってないという風 な声で言った。少女の姿をのぞかせたを少しからかってみたいという気持ちに駆られたからだった。はほんの少し寂しげな眼をして振り返った。その目は子猫と言うよりは捨てられた子犬のような、そんな弱さ が見え隠れしていた。その瞳から漏れる幼さに、佐助は酷く落ち着いていくのを感じた。もちろん、は答えた。その形のいい赤い唇は、薄らと弧を描き、まるで赤い三日月の様にぼうっと浮かんで見えた。つい、次 の言葉を求めてしまいたくなるような、色っぽい唇だった。その瞳から流れる幼さとのアンバランスが、より色っぽくみせている。ふいにはカウンター越しの佐助に近づいた。そうして少し背伸びをして、佐助の耳 朶に唇を寄せると、ぞわりと背筋の震える声で囁いた。 の帰った店内には、ただ緩やかに有線が響いた。静かなジャズの音色はけれど頭の中で響くの声に掻き消されて佐助の耳に届くことはなかった。末恐ろしい女だと心底思う。それ以前に、彼女に少しでも油断し た自分に後悔した。ああ、竜の旦那のこと、もう笑えないな、と自嘲して、佐助はゆるりとした動作で店仕舞いを始めた。今日はもうこれ以上、店を続けられやしないだろう。片手に握りしめた携帯のディスプレイは、 の名前を煌々と照らしていた。 |